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笹幸恵
2020.6.1 00:30配信動画

「逐次投入」と「後手に回る」はイコールじゃないよ。

トッキーが「軍事トリビア」を早々に配信してくれました。
今回は「政府のコロナ対策は『戦力の逐次投入』に非ず」という
テーマでお届けしています。

政府のコロナ対策が後手に回っていることを
「戦力の逐次投入だ」と批判している人って、
玉川徹や古谷経衡だけじゃなかったんですね。
詳細は動画で述べておりますが、
ここではっきり言っておきたいのは、
「戦力の逐次投入」=「後手に回る」ではないこと。
結果論としてそう言える、というだけに過ぎないのです。

私は政府のコロナ対策を評価しません。
しかし、評価しないからと言って、日本軍を持ち出して
政府を批判する人にも同意できません。
彼らがどう戦ったのか。
それすら知らずに批判材料にするなど言語道断。
というか、日本軍を引き合いに出せば批判になると
思っているその浅薄さ、恥ずかしい限りです。

たとえばあのガダルカナル戦で、逐次投入のほかに
どんな手があったか。
「こうすれば勝てた」とはっきりと言える人がいたら、
ぜひとも教えてほしいです。

逆に、逐次投入をしなかったら勝てたのでしょうか?
答えはNOだと私は思っています。
なぜなら、一言で言えば、ガダルカナルは
日本の攻勢終末点だったから。

付け加えるなら、ガ島戦では、逐次投入をしたけれど、
勝機はありました。
川口支隊の第一次総攻撃のときです。
兵は拙速を尊ぶという言葉があります。
まずい作戦でも、すぐ対処することが大事という意味です。
これがガ島戦の教訓になる可能性がじつはありました。

現代だって、こうした事態はいくらでもあります。
もし自分が仕事で何かミスをしたなら、
とりあえず謝罪に出向き、今できる手を打つでしょう。
これ以上、被害を広げないために。

ガ島戦も、これと同じです。
当時の軍は、可能な限りの打つべき手を打った。
愚かだったから、愚策といわれる「逐次投入」をしたのではないのです。
そこのところを間違えてはなりません。

にもかかわらず、敗北したから「愚策だった」と断ずる。
逐次投入=後手に回る、だと思い込む。
これは早計というものです。無知というものです。

なぜ戦力の逐次投入をしなければならなかったのか。
ここを考えないと、いつまでたっても本質はわかりません。
問題は、それしか打つ手がなかった組織全体の構図、
そうならざるを得なかった歴史的背景、日本人の精神構造、
こうした様々な要因があることです。
それらが複雑に絡み合っているのです。
とっても根が深い。
それを「愚かだった」の一言で片づけるのは、
それこそ愚か、あまりに表面的、
あまりに無責任というものです。


逐次投入だ、後手に回っている、一気にやれ。
そう言って政府のコロナ対策の遅れを批判する人には、
ある共通点があります。
その共通点こそ、まさに当時「戦力の逐次投入」をした
日本軍と同じ、なんですね。
彼らは、自分たちが批判している日本軍と同じ轍を踏んでいる。

その共通点とは何か。

どうぞ続きは動画をご覧ください♪

笹幸恵

昭和49年、神奈川県生まれ。ジャーナリスト。大妻女子大学短期大学部卒業後、出版社の編集記者を経て、平成13年にフリーとなる。国内外の戦争遺跡巡りや、戦場となった地への慰霊巡拝などを続け、大東亜戦争をテーマにした記事や書籍を発表。現在は、戦友会である「全国ソロモン会」常任理事を務める。戦争経験者の講演会を中心とする近現代史研究会(PandA会)主宰。大妻女子大学非常勤講師。國學院大學大学院文学研究科博士前期課程修了(歴史学修士)。著書に『女ひとり玉砕の島を行く』(文藝春秋)、『「白紙召集」で散る-軍属たちのガダルカナル戦記』(新潮社)、『「日本男児」という生き方』(草思社)、『沖縄戦 二十四歳の大隊長』(学研パブリッシング)など。

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